とある中学生のつぶやき
母親を看取って死ぬのが自分の人生なのだと俺は長年思っていた。あの人はかわいそうな人だからと。
今はだいぶ違う。「あなたは自分に向き合わないまま死ねるんだね。よかったね。」そう思っている。
俺は「自分の気持ち」というものが長い間わからなかった。
それは押さえ込むのが大人であり、押さえ込むためには自分の気持ちなんて「ないもの」にしておくのが一番の方法であると考え、実際そうした。というか「考え」てもいなかった。当然そうするもんだろ?と。誰だってそうしてるんだろ?と思っていた。
のぞき穴から社会を見ていた。それぐらい、自分にとって社会とは恐ろしい場所だった。というか、はっきり言ってわけがわからなかった。
最近思う。生きることは面倒くさい。はっきり言って生まれなければよかったと思う。
それでも生きるとしたら。何を目指して、何をよすがにして生きて死ぬのだろう。
お金持ちになるため?
愛する妻や子どものため?
安直過ぎて鼻で笑ってしまう。
いや、というか、少なくともそれらは俺の答えじゃない。
一応自分の中に答えはある。あるけど、俺の中の人間不信をもう少し溶かさないと、それは絵に描いた餅にすぎない。それよりも、実は「余程の事が無い限り、俺は俺の人間不信を溶かさない!」とか思ってること自体が一番の問題なんだろう。
そう思うのは勝手だしね、そう思いたければ思ってればいいじゃん…って、人は俺の側から離れていくだろう。
”人生よ、ありがとう
たくさんのものを私にくれて
おまえのくれた明けの星を
ふたつ開けばはっきりと
白と黒とが見分けられる
高い空には星ぼしの底を
群衆の中から愛する人を…”
(八木啓代『危険な歌』より一部抜粋)
いい歌詞だよな…。一度頭に叩き込もう。
これ以上周囲に迷惑かけたくない。